「他人と比べるな」「皆やってる」←このダブスタマジでやめろ
二重規範=ダブルスタンダード(ダブスタ)
意味:二重規範(にじゅうきはん)とは、類似した状況に対してそれぞれ異なる指針が不公平に適用されること。ダブルスタンダード(英語: Double standard)とも。この概念は、すべての状況が同じ指針の適用を受けること(単一規範)を理想とする立場から使用される。活字には遅くとも1895年には登場していた。二重規範の端的な例は、ある概念(例:言葉・文・社会的規範・規則など)を一方のグループに対して適用することは許容され、もう一方のグループに適用することは許容されない、あるいはタブーとみなされる事である。
wikiより引用
どうも、vashoです。
「他人と比べてもしょうがない」
「他人と比べるな」
「自分の行動だろ」
↑こういう意見ってよく目にします。
別にこれはプライベートに限ったことではなく職場とかオフィシャルな場面でも頻繁に耳にしてその度、「そうだな」って納得する自分がいます。
自分自身も基本的には集団同調とかはゴミでしかないと思いつつ、場面場面ではどうしても誰かに合わせなければならない部分が出てきて、苦痛を感じることもしばしば。
なので先ほどの考え方には共感する部分が多いです。
でもね、そうやって言った人がさ
「皆やっているから」
「他の人も同じだから」
とか言ってしまうのはダメでしょ。
どう考えても都合のいい場面で二つの意見を使い分けているだけです。
実際に「他人と比べるな」という類の意見を言ったかと思ったら少し経って「皆やってる」と納得させようとする人物に頻繁にあってきました。
昔のバイトとかもこういう人いたなぁ。そして、そういう人物はいたるところにいることにも気づきました。
そんなんで納得するわけないだろ
例えばこれちょっときついなぁと思ったことがあって自分だけこういう状況?って気になったりしたとします。
そういう時にちょろっと「他の人ってどういう感じなんですか?」って聞くと帰ってくる言葉は「他の人と比べてもしょうがない」「こういう人もいればこういう人もいる」「それぞれこういう場面で苦労している」って内容。
この時点で自分は確かにそうだなって思いました。
ただ、少し経った後「これがきついので改善できないか」みたいなことを言いました。
すると「皆やっていることだから」って意見が返ってくる。
まあ自分が言ったことがただのゆとりの考えと言ってしまえばそうですがやっぱり他の説得が欲しかったと感じる部分が今まで散々ありました。
その後、「こういう事情で今はきつくなっている」という論理性のある回答も追加されたのでその場は納得しました。
ただ、「皆やっている」で終わらされることも他の場面ではありますね。
もっとひどいと「誰々はやってくれた」とか。
比較をするなとは言いませんが比較の意味の無さを説いた人物がそんなことを言っている時点でその人の信頼度は地の底に堕ちるということをもっと自覚したほうがいいと思ったことを最近になって思い出しました。
自分はそうはなりたくない
ここからはあくまで自分の振り返りです。
とりあえず自分は先のような人物にはなりたくないです。
自分が嫌だと思ったことをするような言動をしてしまったら後になって思い出して嫌になってしまいますし、同じような考えを持っている人物にこの一連の行動を聞かれたら信用にもかかわってきます。
先ほどのように誰かを説得する際に「他人は関係ない」「他人と比べるな」みたいなスタンスを持つのならその逆の説得をするときは
・こういう理由できついけれど仕事量的にここまでやる必要がある
・今の状況がこうだから
などとしっかりと筋が通った説明をしたいと思いました。
少なくとも比較を否定した時点で誰々がとか皆とかを引き合いに出すような事はしたくないです。
しょうもないダブルスタンダードが気になりだす
今回はあくまで一例ですが世の中にはダブルスタンダードと呼ばれる言動がまかり通っています。
それによって回っている社会もあるかもしれませんがやっぱり本当に納得できなかったり「この人大丈夫かな?」って思ってしまうのもまた事実。
あまりダブルスタンダードを気にするのは息苦しいと思いますがやっぱり気になってしまうのはしょうがないので少なくともそういうことは言わないと自分に言い聞かせてこの世の中からダブスタを使う人間を一人(=自分)分少なくしたいと思いました。