ミセリズム

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ボッチ飯先の飲食店で名前を覚えられると行きにくくなる現象の理由は?


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お題「ひとりの時間の過ごし方」

 

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自分は昼食とかは基本的に一人で食べるボッチ飯をしています。

理由は一緒に食べる相手もいないということもありますが自分の時間を楽しみたいというのが一番でしょう。

 

そういう気分の時に食べる場所というのは家ではなく飲食店です。

昼食なのでランチタイム特有のお得なメニューを頼んだりするのですがそのメニューが気に入ったら行きつけたりします。

 

そんな中、週に2回以上行くようになると顔を覚えられる様になってくるのはそう珍しくないです。

 

 

顔を覚えられるのは辛い

自分はなぜかそういう場面で顔を覚えられるのは辛いというか今後行きにくくなります。

 

もちろん、顔を覚えてくださるのはこちらをしっかり見ていてくれている証拠ですし一流のホテルマンなんかは一度来た客の顔とプロフィールをしっかり記憶するとも聞きます。

 

そして、一定の飲食店に行く頻度が高ければ高いほど顔を覚えられる可能性も高くなります。

それはわかっているのですがやっぱり謎の行き辛さが自分に押し寄せてきます。

 

ただ、このままでは自分の自意識過剰ですね。ちょっと「(自分の事知っているわ)」とか思っていたらキモいですよね。

 

そんなことを考えていて平常心を保っていたりもするのですが言葉をかけられるとその状況が一変します。

 

いつもありがとうございます

この言葉が来るとなんだかやっちまった感が出てきます。

 

さらに最近になってかけられた言葉があって

家近いんですか」(←嫌味とかではなく笑顔の素晴らしい接客)

というもの。

 

店員さんにしてみれば普通にフレンドリーな接客ですが自分からしたら「(とうとう来てしまったな)」という感じでした。

これらを好意として受け取れる人は本当にうらやましいのですがどうやら自分はそういう真っ直ぐな性格ではないようです。

 

覚えられるのがつらい理由

今回のような状況ですがもしも「誰かといった場合」と仮定してみます。

するとおそらく今回のような行きにくさを例え顔を覚えられたとしてもそこまでは感じない、むしろまたお願いしますって思える気がしました。

 

そうなってくると覚えられるのがつらい理由というのはボッチ飯と関係がありそうです。

 

一人で食事をする理由はいくつかあります。

一緒に食べる人がいない→これはさみしいですがしょうがないですね。

自分のペースで食べたい→その時の調子で早く食べたりゆっくり食べたり時間を堪能したり、予定に合わせたりして食事をしたい時があります。

単純に一人で食べたい→誰かがいるとたとえ身内でも相手の食事が出てくるのを待ったりと何かしら気を遣いますよね。そういうのを一切排除したい時とかもボッチ飯はありです。

そもそも自分の食べたいものを食べる→誰かと食事する場合は自分はイタリアン、相手が和食を食べたい、なんてときはどちらかが折れると思うのですが相手が折れた場合はちょっと申し訳ないですし自分が折れる場合は食べたかったものが食べられません。

こういうのを関係なしに食事ができるのがボッチ飯の良いところでもあります。

 

こんなところでしょうか。

まとめるとポジティブなことは「自分の食べたいものを食べたいようにマイペースに食べる」というものです。

 

そして、ここに店員さんに顔を覚えられたという状況が加わるとどうしても一人で食事をしている感覚が失われてしまいます。

ボッチ飯が寂しい人はそれでいいですよ。

けれども自ら一人での食事を選んでいる場合は自分の好きなように食べている行動に意識が向けられている気がします。

 

そうなってくるとやっぱりそのレストラン・飲食店に行きにくくなってしまう心理はしょうがない気がしました。

 

解決策 それでも行けばいい

タイトル通り「ボッチ飯先の飲食店で名前を覚えられると行きにくくなる現象」の解決策ですが単純にそのレストランやら飲食店に行く頻度を抑えればいいでしょう。

 

ただ、それだと好きな飲食店に好きなペースで通えれません。

 

じゃあどうすればいいのかと考えたらやっぱり気にせずに行けばいい、という結論に至りました。

別に顔を覚えられるのは悪意があったからではないです。

単純にいつもありがという、という気持ちがあっての事。(のはずって信じたいです)

 

ならば別に臆していく必要が無いと思います。

 

今まで通り行って注文して食べて帰らばいい、ただそれだけでいいでしょう。